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リリー・マルレーン

 

 1941年、ユーゴスラビアを占領したドイツ軍は首都ベオグラードに自軍の将兵向けの放送局を設立しました。そのベオグラード放送から毎晩きまった時間に流されたララ・アンデルセンの「リリー・マルレーン(Lili Marleen)」は、前線のドイツ兵の心をとらえ、多くの兵士たちがダイヤルを合わせるようになりました。兵営に戻った兵士が別れてきたばかりの女性を想うこの歌は、枢軸国のイタリア兵にも広がり、やがて連合国の兵士にまで熱狂的に受け入れられます。それまで無名の歌手であったララ・アンデルセンは「兵士たちの天使(Engel der Soldaten)」と呼ばれて一躍スターになります。しかし運命は一転しました。夫がスイス国籍のユダヤ人であった彼女はイタリア公演中に亡命を企て、これが発覚してゲシュタポに逮捕されます。彼女は拷問や処刑を恐れて自殺を図りますが未遂に終りました。これを英国BBCのドイツ向け放送が「ララ・アンデルセン死亡」と報じると、ドイツ兵の反発や士気喪失を恐れたナチスは彼女が健在であることを示さざるを得なくなります。「リリー・マルレーン」は放送禁止となり、原盤は破棄されました。終戦のとき彼女は爆撃された病院から救出されます。

 「リリー・マルレーン」を歌いつづけたもうひとりの女性がいます。ベルリン生まれでドイツの映画や舞台で活躍したあと、1930年に映画「嘆きの天使(Der Blaue Engel)」に抜擢されてハリウッド入りした大女優、マレーネ・ディートリッヒです。同年、「モロッコ(Morocco)」でゲーリー・クーパーとも共演しています。ディートリッヒは、退廃的な美貌、官能的な歌声、素晴らしい脚線美で国際的な名声を獲得しました。彼女はヒトラーからの「帰国すればドイツ映画界最高の地位を保証する」というメッセージを拒絶し、祖国をナチスから解放するためと連合国兵士の慰問に出かけて「リリー・マルレーン」を歌います。ディートリッヒが歌う「リリー・マルレーン」は世界中の人々を魅了しました。第二世界大戦のあとも歌いつづけた彼女には、リリー・マルレーンのニックネームまで捧げられています。ララ・アンデルセンは1972年、マレーネ・ディートリッヒは92年、作曲者のノルベルト・シュルツェは2002年に亡くなりました。

 

 

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