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阪神高速
アウトストラーダとピエーロ・プリセリ
世界で最初の高速道路が誕生した国はイタリアです。ミラノ(Milano)とその北西にあるバレーゼ(Varese)を結ぶ42.6kmのアウトストラーダA8。この輝かしい名誉を持つ高速道路の生みの親はピエーロ・プリセリ(Piero Puricelli)という人です。彼はスイスで学んだあと、大きな建設会社を相続し、非営利法人のイタリア観光クラブ(Touring Club Italiano )やミラノの銀行をさそって、ミラノから北部の湖北地方まで有料の高速道路をつくる計画を立てます。湖北地方は古代ローマ時代から保養地として栄えていました。
第一次世界大戦で疲弊したイタリア経済を立て直そうとしていたムッソリーニは、公共事業費の80%を道路に投資して失業率を低下させようとしていました。プリセリが1922年末に計画を提案するとすぐに認められます。高速道路を維持管理しながら料金を徴収できる期間を50年とするコンセッション方式でした。用地取得の暇もあらばこそ、23年3月には着工し、24年9月に完成させてしまいます。起伏の多い地形を切土、盛土で通るので工事はそれほど容易ではなかったようです。両方向1車線ずつで中央分離帯はありませんが、他の道路とは立体交差しています。
プリセリは、ヨーロッパ高速道路網を提案したり、ドイツのアウトバーン建設に協力したりして国際的にも活躍をしました。世界初の高速道路の生みの親として敬われつづけています。
世界初の高速道路の生みの親がピエーロ・プリセリなら、太陽道路(Autostrada del Sole)の生みの親はエチオ・バノーニ(Ezio Vanoni)といえそうです。
イタリア政府の国営企業持ち株会社である産業復興公社IRI(L'Instituto per la Ricostruzione)は、1950年にアウトストラーダ公団(Autostrade-Concessioni e Construzioni Autostrade SpA)を設立しました。1948年に財務大臣に任命されたバノーニは、53年にミラノ、ローマ、ナポリを結ぶ800kmの太陽道路の計画を指示します。55年には、イタリアの南北格差を是正することを主な目的とした「バノーニ計画」と呼ばれる経済発展10か年計画が始まります。これには太陽道路の建設のほか、電話網の整備や南部タラントの製鉄所建設などが盛り込まれていました。56年には道路庁ANAS (Azienda Nazionale Autonoma Strade)の許可で工事が開始され、8年後の64年には全区間が完成します。バノーニは、54年からは経済計画大臣となり、雇用と所得を増加させるための開発計画を推進しようとしますが、56年に惜しくも53才で亡くなってしまいました。
太陽道路はナポリからレッジョ・ディ・カラブリアまで500km延伸されています。この南端の街は中村俊輔選手が2002年から所属していたサッカー・チーム、レッジーナの本拠地です。イタリアには太陽道路のほかに、ワイン道路、二つの海道路、公園道路などのロマンチックな名前をつけられた高速道路があります。
アウトストラーダ公団は1999年に完全民営化されました。イタリアのアパレルメーカー、ベネトンの持ち株会社などが筆頭株主になっています。現在は3600kmの高速道路を管理していますが、これはイタリアの有料道路の61%、ヨーロッパの有料道路の18%に当たります。米国や英国の有料道路建設に参加したり、携帯電話事業に進出したり、オリベッティー社の光ファイバー専用回線を敷設したりと活発な事業展開を図っているようです。
イタリアのノンストップ自動料金支払いシステム、テレパス(TELEPASS)が太陽道路に導入されたのも世界初でした。1990年のことですから2001年の日本でのETC導入に先立つこと11年です。オーストリアの2000kmの道路へのテレパス整備も受注したようです。イタリアの高速道路は先頭を快調に飛ばします。