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インターステート・ハイウェイと
ドワイト・D・アイゼンハワー

 

伝説的なシンガー、ナット・キング・コールが歌った「スターダスト:Stardust」、「モナ・リザ:Mona Lisa」、「ラブ:L-O-V-E」などの曲は、いまやスタンダード・ナンバーとなっています。1956年のアルバム「アフター・ミッドナイト:After Midnight」に収められていた「ルート66:Get Your Kicks on Route 66」もそのうちのひとつです。ルート66は、シカゴとロサンゼルスを結ぶ総延長3,900kmのハイウェイで、建設が開始されたのは1926年、完全に舗装されたのは1938年でした。30年代に大きな経済不況が米国を襲ったとき、職を求める人々がこのハイウェイを西へ向かいました。移住する人々をえがいたジョン・スタインベックの「怒りの葡萄:The Grapes of Wrath」では、このハイウェイを「母なる道:The Mother Road」と呼んでいます。曲のほうは「ルート66の旅はご機嫌」という明るい歌詞。40年代になって作曲家になろうとロサンゼルスに向かったボビー・トループは、同じ職探しでも心が弾んでいたのでしょう、運転しながら軽快なテンポで作曲しています。ルート66は、全米に張り巡らされたインターステイト・ハイウェイに分断され、いまは部分的に「歴史的なルート66:Historic Route 66」として残るだけです。

 

米国のインターステイト・ハイウェイ網の整備が本格的に進みだしたのは、1956年に連邦補助ハイウェイ法(Federal-Aid Highway Act of 1956)が制定されてからです。時の大統領、ドワイト・D・アイゼンハワーは、1919年に陸軍が編成した自動車部隊による大陸横断演習に中佐として参加し、ワシントンDCからサンフランシスコまで悪路と戦いながら62日間もかけて走破していました。44年には連合軍最高司令官としてノルマンディー上陸作戦を指揮し、翌年にはベルリンを陥落させます。ドイツに赴いたアイゼンハワーはアウトバーンを目の当たりにして強い感銘を受けます。この二つの体験から、53年に第34代大統領に選ばれると、国防のためのインターステイト・ハイウェイ整備に全力を注ぐことになります。56年の連邦補助ハイウェイ法では、連邦政府が建設費の90%を補助し、72年までの16年間に67,000kmを建設することとしていました。実際に建設が完了したのは27年後の93年でした。

 

景色を眺めながら思わず曲までつくってしまうルート66のような古いタイプのハイウェイにくらべると、機能性に特化されたインターステイト・ハイウェイのドライブはどうしても無味乾燥になってしまいます。東海岸のノース・カロライナ州から西海岸のカリフォルニア州を結び、ルート66と大部分が並行するI-40が80年代の終わりに完成したとき、ある新聞は「いまや東海岸から西海岸へ、なんにも見ないでドライブすることができるようになった」と書いたそうです。

 

すでに世を去っていた父親ナット・キング・コールの声とデュエットしたナタリー・コールの「アンフォゲッタブル:Unforgettable」は1991年に全米1位の大ヒットとなり、グラミー賞を7部門も獲得しました。父が歩いた道を娘も歩きつづけています。

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